お知らせ

 

除夜の鐘 御案内

除夜の鐘 案内
午後11時50分から午前1時過ぎまで撞いています。

当山の梵鐘は楼閣の二階にあります。
山門を入って直ぐの建物。鐘楼堂は以前『夏時間から冬時間へ』で紹介しましたが、
梵鐘は二階にあるため、皆様のもっている鐘楼のイメージと少し違うかもしれません。
階段を登っていただき、四天王様が見まもるなか御自由に撞くことが出来ます
冷えた体は一階の接茶所と甘酒の御奉仕で温めて下さい。

産女観音 鐘楼堂

又、皆様の御多幸を祈念して、新春祈祷を午前零時よりおつとめ致します。
どうぞ御自由に本堂にお入りいただき観音様にお参りください

 
 

暮れに河津桜が!

火曜日は娘の『茶の湯』稽古。
花を探しに裏山へ出かけました。
今年は例年になく椿の開花が少ないとの話。
裏山の椿もほとんど花芽をもっていません。
そんななか葉の落ちた河津桜の木に花が咲いていました。
たった二輪でしたが床に飾ってみました。
枝は「日向水木」・花は椿「太郎冠者」です。

間もなく年越し。新年の準備に追われる日々を過ごしています。
明日は今年最後の『イヌの日』です。

 
 

新年の準備 境内樹木の剪定

境内の庭木の剪定が始まりました。
夏の施食会前と暮れの恒例事業です。
京都で修行して、静岡市にもどり農家を継いで庭師として活躍している職人さんに永年任せています。
ろくに肥料は与えていませんが、刈り込んだ枝木を見ると毎年よく伸びるものだと感心すると共に生命力の強さに驚きます。
おかげで綺麗になりました。

産女観音境内

しかし、『諸行無常』・・・・・・。のこの世界。
昨年から葉が落ち始め残った枝も今年の夏の暑さの為でしょうか?
樹齢100年を超えていると思われるモミジの木がついに枯れてしまいました。
現在の地に移るまで庫裡等の改築の為1~2回  その地を移り、その度根付かないかもしれないと心配しましたが毎年春の新緑、秋の紅葉で楽しませてくれました。
鉄棒の代わりとして子供たちが遊んだ木でした。
ある時、この木を見つめる中年の男性がいました。声を掛けてみると小学校の時に養子にいった産女の檀家さんの関係者で、彼にとっては生まれ育った時の思い出の木。
まさに「思い出のクリーングラス」の唄の世界で、本当に懐かしいと何時までも見つめていました。
ですからこの木への愛着は大きく檀家さん達も通るたび気にかけていましたが、如何ともし難く、本年中に切ることとなりました。
残念です。

切った後のモミジ、何かの形で残したいなと思案中です。

 
 

境内の落葉

産女観音境内

早朝の産女観音 境内の落葉

夜明けの境内の写真です。
黄色の絨毯を敷きつめたようです。12月に入って毎日集めた銀杏の落葉を山の植木の下に移動しています。

『掃くほどに 風が持て来る 落葉かな』

掃いても掃いても・・・・・・
樹から葉が全部落ちるまで続きますが、掃き清めた後の落葉はとても綺麗です。

 
 

12月8日 成道会

2月8日は成道会(じょうどうえ)
苦行によって『生老病死』の苦悩は解決しないと解った「お釈迦様」は苦行林=山を出られ、菩提樹のもとで静かに坐禅を組まれました。そしてついに真理に目覚められたと伝えられています。
このことに因み、寺では12月に入ると床に写真の出山釈迦図を掛ます。
この掛軸の話をしたときにある方からこんな質問がありました。
「出山(しゅっさん)の釈迦と云いますが、お釈迦さんは男性ではなかったですか?それとも産女観音は安産の札所と云うことで特別な軸が伝わっているのですか・・・・?」
どうもその方は出山(しゅっさん)を出産と勘違いしていたようで・・・・・。

 

面白い顔で漫画的なこの軸の作者は江戸後期、東京の豪徳寺から彦根の清凉寺(共に井伊家の菩提寺です)に住職された寂潭俊龍[じゃくたん しゅんりゅう]和尚で独尊道人と号しました。

誰謂世尊浄法身
見来偏體着埃塵
豈懐昔日諭城日
箇為凡夫毛道人
    豪徳独尊道人焚香写

誰か謂ふ世尊浄法身と
偏體を見来れば 埃塵を着く
豈に懐わんや 昔日  城を諭するの日
箇  凡夫 毛道人 為り

と読んでいます。
お釈迦様が菩提樹の下で目覚められたことを悟と云い、様々な和尚様がそれぞれに目覚められた悟りについてを言葉で書き表して説明しています。たとえば道元禅師様は眼は横に鼻は縦になっていることが解ったと述べています。
ですが、悟ったからといってその人が別人・超人・超能力者になるわけではありません。
私達は文字を見たり聞いたりして、頭でそれを理解しています。悟りとは頭では無く、からだ全体でわかること、体が理解することだと云います。
例えば初めて食べる料理の味はいくら言葉・文字で説明しても正確な味は伝わらず、食べて初めてその味が解ると云うことでしょうか?
悟りという料理がどんなものかも知らない、ましてその味について解る訳もない私が成道会にあたり駄文をつらねました。乞お許しを。                                     
花は西王母の白の椿と土佐水木を添えてみました。

 
 

産女観音の紅葉

産女観音 銀杏気がつけばもう12月は目の前
境内のイチョウ・モミジが紅葉の見頃となりました。
晋山式から始まり山の下刈り・総代のお年忌・山内の整備工事・・・・・・
あっという間の一カ月。
予定ですと今日は鎌倉・横浜への年一度の地域の和尚様達との研修旅行。
家族からの外出許可は早くから取っていましたが、観音様の許可がおりず(冗談です・・)
檀家さんの御葬儀が入り、通夜法要に出かける準備をしています。

境内が黄色の絨毯で敷きつめられるのも間もなくです。

 
 

親元 牧野家の法事

産女観音 開山堂内部

 

本日、当山の親元・総代として永い歴史を有する牧野家の法要があります。
御当主の御両親のそれぞれ50回忌・33回忌が嚴修されます。
生憎の雨
でも私には『よく集まってくれました。今日はゆっくり昔話をして休んで下さい』と亡き御霊が云っているような気がします。
忙しい農作業の時期の合間に今日の準備をしてきた御家族に暫時の休息を授けてくれたのかもしれません。
牧野家は歴代の住職を物心両面で支え、私の晋山式にも親元を御務め頂き大変御世話になっている家です。
先代が諸堂を整備を済ませませたので私の仕事は現在の寺の什物・建物を如何にベストな状態で未来へ残していくかということ。

内陣の松の欄間

内陣 獅子の欄間

近年始めた整備事業に賛同頂き本堂の内部を飾る欄間彫刻の修復復元に御協力賜りました。
立川流の作品と伝えられている両面彫りの松・竹・梅・獅子の欄間は虫食いとネズミに齧られ傷んでいましたが、おかげで写真の様に立派に修復されました。感謝・感謝です。
御来山の節は是非、御高覧下さい。

 
 

13日は裏山の奉仕作業

6日 瑞雨のなか晋山式・首座法戦式が多くの檀信徒が参列して、厳粛に又、盛大裡に無事圓成した。

今週の日曜日は恒例の檀家の皆さんの御奉仕による裏山の清掃作業が予定されている。
ここ暫く土日が雨。晋山式は屋内の行持で天候には左右されないが、屋外の作業の為是非晴れて欲しいと願っている。
20年前に『裏山に花木を植えて憩いの場にしよう!』との提案で、始めた事業だが当初は雑木の伐採・下刈り等々大変な苦労だった。
打ち上げ花火の性格。早く早く花が咲き、綺麗な公園になるように頑張ったが思うようにいかず『もう止めよう』とした時期もあった。でも、全て自然に任せるしたないと云うことにたどり着いた。
時間の流れは大したものだ。月日が経つにしたがって、樹も大きくなり手入れが楽になってきた。

山の作業の下見に登って見ると、椿がぼちぼち花をつけ、木々が紅葉し始めていた。

早速、床の間に活けてみた。花は加茂本阿弥 椿と大手鞠の照葉。

 
 

5~6日は隣のお寺の晋山式

明日から隣の寺『法城寺』様の晋山式。
一年前から知らされていた行持で、未だ未だと思っていたが・・・・・・。
月日の経つのは早いものだ。
弟子(私の長男)が僧侶になる為に重要な役職を務める為、夏過ぎるとその準備に追われて、あっと云う間に式を迎えるような気がする。
私も昭和63年にこの式を済ませているが、当時古老から『式の合図の鐘がなったら終了したようなものだよ。それまでの準備が修行期間。しっかり準備しなさい』と云われたが、本当にそのとおりだと思う。

これから最終点検。落としは無いと思うが、あと気がかりなことは天気だけ。こればかりはどうにもならないものだ。稚児、五色幡を先頭に金襴袈裟を纏った住職・僧侶・檀信徒の行列。大勢の参詣者の不便にならないよう仏天の加護を願うのみである。

またこの日は私の旧友の茶会。『西王母』椿をどうしても活けたいとのこと。
でも当院にも、知り合いにも『西王母』は無く、どうにか通販で入手して、この日に合わせて咲くように育ててきましたが、思ったより早く開花しそうな雰囲気。
茶会も道具の準備は早くから出来ますが、花だけはその時にならないと、どうにもなりません。
天気と同様、「花の咲く時期は、花に訊かないとわからない」と云うことでしょうか?
でも、なんとかその思いがかなうようにと鉢植の椿を暗所において開花が遅れるようしてみました。
『念ずれば花ひらく』の如く、茶室で見事に開き、旧友の一年以上前から準備していた労に酬いてくれればと念願しています。

 
 

最近のお買物 良寛さんの手紙

最近、東京の古美術店の通信カタログから良寛さんの書簡(手紙)を入手しました。

もちろん影印(現代語で云えばコピー)です。
良寛さんは贋作が多いと聞いていますし、真贋を見極める眼も持っていないので影印版を求めました。
どなたが愛蔵したものでしょうか??
立派に額装され箱に入って届きました。
掛軸等の影印版には印刷所等の栞が入っていることがありましたが、これには何も添付書類が無く、
どちらかの本からコピーした読みと説明が入っていました。
早速、本堂西の間に読みと説明を書いて掛けました。
御来山の節はどうぞ御高覧下さい。

写真と説明をアップいたします。

江戸ニて
 維経尼   良寛
君欲求蔵
経 遠離故
園地 吁嗟吾
何道 天寒
自愛
 十二月廿五日
      良寛

君 蔵経を求めんと欲して
遠く故園の地を離る  
吁嗟(ああ)吾れ何をか道(い)はん
天寒し 自愛せよ
 十二月廿五日
      良寛

良寛さんが維経尼に宛てた手紙である。
維経尼が師僧 徳昌寺虎斑和尚の
大蔵経購入の発願の為に
江戸に赴き勧進していることを知り、
書き送った書簡で
良寛さんの暖かい思いやりが伝わってくる。

 
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