お知らせ

 

お守りについて

昨年、静岡市で冠婚葬祭業を経営する『アイネット』より発行している季刊誌編集の方より「お守り」についての取材があり、その内容が[あいネットプレス]Vol.67 2012新春号 に掲載されました。
送って頂いた冊子の掲載の一部分ですが御高覧下さい。

[あいネットプレス]冊子より

 

冊子には静岡市の寺社仏閣のさまざまな御縁を頂ける「お守り」が掲載されています。

 
 

正月の行持報告と 戌の日の御案内

鐘楼堂一階での抹茶・甘酒の接待(除夜から3日まで)に始まり7日の『どんど焼き』
その間に町内会年頭の初顔合わせ・地元消防団の出初式が無事圓成し、
11日は隣のお寺で昨年11月に行われた晋山結制の終了を告げる解制法要が行われました。
当地は晴天が続き、かなり冷え込む日もありましたが、穏やかな正月でした。
出初式と解制法要の写真をアップします。
花は蝋梅(ろうばい)と白侘び助椿です。

解制法要の様子

左から2人目が私の弟子です。

隣のお寺の御住職です

 

14日の土曜日は戌(いぬ)の日です。御来山・御参詣を御待ちしています

 
 

新年の風景

産女観音 新年の本堂外観 1

産女観音 新年の本堂外観 2

明けてましておめでとうございます。
平成24年の年頭にあたり、皆様方の御多幸を御祈念申し上げます。

写真は新年の本堂内外の荘厳風景です。

新年の本堂内陣荘厳

五色の幕・寺紋の幕で飾られた本堂。内陣の天女が舞う金襴の水引・柱巻きの奥に観音様が祭られています。
そしてその廻りには16人の羅漢様の掛軸・奥の床には郷土の南画家・高橋雲亭画伯が当山で描いた子供と遊ぶ布袋様の掛軸が飾られます。

十六羅漢図は県内のとても由緒ある寺院にあった品で、明治六年にその寺から功績のあった末寺に贈られた奥書が記されています。昭和50年代に古道具店で出会い支払いに苦労して手に入れ、その後、傷んでいた表装を5年かけて直したもので、寺宝として永く保存もらいたいと願っている品です。
又、高橋雲亭画伯の布袋図は戦前当山で画伯の画会が開かれたおり、当時の住職の希望で安産・子育てにちなんで子供を何人もあやしている布袋さんが描かれたと聞いています。
描かれてから常に掛けられていた為か傷みが酷くなり、再表具して現在は正月のみ飾っている一品です。

 


御来山の節は是非、御高覧下さい。
期間は天候の具合にも因りますが、大体1月10日前後まで展示しています。

 
 

除夜の鐘 御案内

除夜の鐘 案内
午後11時50分から午前1時過ぎまで撞いています。

当山の梵鐘は楼閣の二階にあります。
山門を入って直ぐの建物。鐘楼堂は以前『夏時間から冬時間へ』で紹介しましたが、
梵鐘は二階にあるため、皆様のもっている鐘楼のイメージと少し違うかもしれません。
階段を登っていただき、四天王様が見まもるなか御自由に撞くことが出来ます
冷えた体は一階の接茶所と甘酒の御奉仕で温めて下さい。

産女観音 鐘楼堂

又、皆様の御多幸を祈念して、新春祈祷を午前零時よりおつとめ致します。
どうぞ御自由に本堂にお入りいただき観音様にお参りください

 
 

暮れに河津桜が!

火曜日は娘の『茶の湯』稽古。
花を探しに裏山へ出かけました。
今年は例年になく椿の開花が少ないとの話。
裏山の椿もほとんど花芽をもっていません。
そんななか葉の落ちた河津桜の木に花が咲いていました。
たった二輪でしたが床に飾ってみました。
枝は「日向水木」・花は椿「太郎冠者」です。

間もなく年越し。新年の準備に追われる日々を過ごしています。
明日は今年最後の『イヌの日』です。

 
 

新年の準備 境内樹木の剪定

境内の庭木の剪定が始まりました。
夏の施食会前と暮れの恒例事業です。
京都で修行して、静岡市にもどり農家を継いで庭師として活躍している職人さんに永年任せています。
ろくに肥料は与えていませんが、刈り込んだ枝木を見ると毎年よく伸びるものだと感心すると共に生命力の強さに驚きます。
おかげで綺麗になりました。

産女観音境内

しかし、『諸行無常』・・・・・・。のこの世界。
昨年から葉が落ち始め残った枝も今年の夏の暑さの為でしょうか?
樹齢100年を超えていると思われるモミジの木がついに枯れてしまいました。
現在の地に移るまで庫裡等の改築の為1~2回  その地を移り、その度根付かないかもしれないと心配しましたが毎年春の新緑、秋の紅葉で楽しませてくれました。
鉄棒の代わりとして子供たちが遊んだ木でした。
ある時、この木を見つめる中年の男性がいました。声を掛けてみると小学校の時に養子にいった産女の檀家さんの関係者で、彼にとっては生まれ育った時の思い出の木。
まさに「思い出のクリーングラス」の唄の世界で、本当に懐かしいと何時までも見つめていました。
ですからこの木への愛着は大きく檀家さん達も通るたび気にかけていましたが、如何ともし難く、本年中に切ることとなりました。
残念です。

切った後のモミジ、何かの形で残したいなと思案中です。

 
 

境内の落葉

産女観音境内

早朝の産女観音 境内の落葉

夜明けの境内の写真です。
黄色の絨毯を敷きつめたようです。12月に入って毎日集めた銀杏の落葉を山の植木の下に移動しています。

『掃くほどに 風が持て来る 落葉かな』

掃いても掃いても・・・・・・
樹から葉が全部落ちるまで続きますが、掃き清めた後の落葉はとても綺麗です。

 
 

12月8日 成道会

2月8日は成道会(じょうどうえ)
苦行によって『生老病死』の苦悩は解決しないと解った「お釈迦様」は苦行林=山を出られ、菩提樹のもとで静かに坐禅を組まれました。そしてついに真理に目覚められたと伝えられています。
このことに因み、寺では12月に入ると床に写真の出山釈迦図を掛ます。
この掛軸の話をしたときにある方からこんな質問がありました。
「出山(しゅっさん)の釈迦と云いますが、お釈迦さんは男性ではなかったですか?それとも産女観音は安産の札所と云うことで特別な軸が伝わっているのですか・・・・?」
どうもその方は出山(しゅっさん)を出産と勘違いしていたようで・・・・・。

 

面白い顔で漫画的なこの軸の作者は江戸後期、東京の豪徳寺から彦根の清凉寺(共に井伊家の菩提寺です)に住職された寂潭俊龍[じゃくたん しゅんりゅう]和尚で独尊道人と号しました。

誰謂世尊浄法身
見来偏體着埃塵
豈懐昔日諭城日
箇為凡夫毛道人
    豪徳独尊道人焚香写

誰か謂ふ世尊浄法身と
偏體を見来れば 埃塵を着く
豈に懐わんや 昔日  城を諭するの日
箇  凡夫 毛道人 為り

と読んでいます。
お釈迦様が菩提樹の下で目覚められたことを悟と云い、様々な和尚様がそれぞれに目覚められた悟りについてを言葉で書き表して説明しています。たとえば道元禅師様は眼は横に鼻は縦になっていることが解ったと述べています。
ですが、悟ったからといってその人が別人・超人・超能力者になるわけではありません。
私達は文字を見たり聞いたりして、頭でそれを理解しています。悟りとは頭では無く、からだ全体でわかること、体が理解することだと云います。
例えば初めて食べる料理の味はいくら言葉・文字で説明しても正確な味は伝わらず、食べて初めてその味が解ると云うことでしょうか?
悟りという料理がどんなものかも知らない、ましてその味について解る訳もない私が成道会にあたり駄文をつらねました。乞お許しを。                                     
花は西王母の白の椿と土佐水木を添えてみました。

 
 

産女観音の紅葉

産女観音 銀杏気がつけばもう12月は目の前
境内のイチョウ・モミジが紅葉の見頃となりました。
晋山式から始まり山の下刈り・総代のお年忌・山内の整備工事・・・・・・
あっという間の一カ月。
予定ですと今日は鎌倉・横浜への年一度の地域の和尚様達との研修旅行。
家族からの外出許可は早くから取っていましたが、観音様の許可がおりず(冗談です・・)
檀家さんの御葬儀が入り、通夜法要に出かける準備をしています。

境内が黄色の絨毯で敷きつめられるのも間もなくです。

 
 

親元 牧野家の法事

産女観音 開山堂内部

 

本日、当山の親元・総代として永い歴史を有する牧野家の法要があります。
御当主の御両親のそれぞれ50回忌・33回忌が嚴修されます。
生憎の雨
でも私には『よく集まってくれました。今日はゆっくり昔話をして休んで下さい』と亡き御霊が云っているような気がします。
忙しい農作業の時期の合間に今日の準備をしてきた御家族に暫時の休息を授けてくれたのかもしれません。
牧野家は歴代の住職を物心両面で支え、私の晋山式にも親元を御務め頂き大変御世話になっている家です。
先代が諸堂を整備を済ませませたので私の仕事は現在の寺の什物・建物を如何にベストな状態で未来へ残していくかということ。

内陣の松の欄間

内陣 獅子の欄間

近年始めた整備事業に賛同頂き本堂の内部を飾る欄間彫刻の修復復元に御協力賜りました。
立川流の作品と伝えられている両面彫りの松・竹・梅・獅子の欄間は虫食いとネズミに齧られ傷んでいましたが、おかげで写真の様に立派に修復されました。感謝・感謝です。
御来山の節は是非、御高覧下さい。

 
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