世間ではチョコレートの贈物で賑やかな時期ですが、お寺では十五日のお釈迦様の涅槃会(御命日)迄、『佛遺教経』を読経するお務めが一日から始まりました。
インドの北部クシナガラという村で、沙羅の林に横たわり、弟子達の見守るなか、お釈迦様は旧暦二月十五日最後の教えを説き御亡くなりになったと伝えられています。
その時、頭を北側にし顔を西に向け右脇を下にした寝姿であったことから、死者を北枕にする習慣がうまれたと聞いています。
『佛垂般涅槃略説教誡経』(略して佛遺教経)はこの時の説法をまとめたものですが、教典を開くと、人は如何に生きるべきか、仏教徒として守るべき事は何か??等々、今の生活を考え直させれる事柄が多く示されています。
お釈迦様は、「世間の全ての物は絶えず変化している、一つとして同じ姿でいる物は存在しない。だから私が死んだからといっても嘆いてはいけないよ。私亡き後は自分自身を灯明とし、私の教えた真理(法)を灯明して修行していきなさい・・・」と教えています。
お釈迦様のご遺言を『自灯明・法灯明』(自らを灯明とせよ、法を灯明とせよ)といいますが、自分を灯明にするとはどういう事でしょうか?
我々はいつも他人や物を比べて考え生活しています。さっきの物の方が良かった、あっちの方が価値がありそうだ、何であいつが俺より先に昇進するんだ、何で俺はあいつに比べて運が悪いんだ等々
考えても仕方ないことを何時までも考えている人を愚かな人という。逆に自分の力の限界をわきええ、あきらめを付け、比べようともしない人を知恵の人という。自分と他を比べてできる差をとる事を差とり(悟り)といいます。
お釈迦様は決して他人を羨んだりせず、自分を大切に、頂いた命を大切にと教えられたのでしょう
部屋で暖をとる機会の多い厳寒の二月、熱いお茶を頂きながら、静かに自分自身をみつめなおしてみませんか
写真は当山伝来の涅槃図です。各所に本紙の筋切れ・胡粉の剥離他さまざまな傷みがきており、本堂再建200年までには修復したいと発願しています。
お知らせ
2月15日は涅槃会
2月の戌の日 大安の日
今月の戌の日は 7日(火曜日)と19日(日曜日)です。
大安は 2(木)8(水)14(火) 20(月) 25(土) です。
2月に入って朝の室温は零度! 寒いですねーー。
御参詣の皆様には『本堂は夏用に出来ていますので・・・・寒くて御不便を御掛けいたします』と謝っています。
200年を経た建物で、床下が1mあり、また正面の大戸を開いて御参り頂きますの本堂全体を暖房するのは到底無理で本当に御不自由を御掛けしています。
せめて御祈祷・御札の説明のときは暖かくと思いホットカーペットを用意させて頂いております。
参詣の皆様からは『お寺は寒い処だから』と気づかいの御言葉を頂戴いたしますが、
御来山の節にはどうぞ暖かい服装でおいでください。
新年の風景
明けてましておめでとうございます。
平成24年の年頭にあたり、皆様方の御多幸を御祈念申し上げます。
写真は新年の本堂内外の荘厳風景です。
五色の幕・寺紋の幕で飾られた本堂。内陣の天女が舞う金襴の水引・柱巻きの奥に観音様が祭られています。
そしてその廻りには16人の羅漢様の掛軸・奥の床には郷土の南画家・高橋雲亭画伯が当山で描いた子供と遊ぶ布袋様の掛軸が飾られます。
十六羅漢図は県内のとても由緒ある寺院にあった品で、明治六年にその寺から功績のあった末寺に贈られた奥書が記されています。昭和50年代に古道具店で出会い支払いに苦労して手に入れ、その後、傷んでいた表装を5年かけて直したもので、寺宝として永く保存もらいたいと願っている品です。
又、高橋雲亭画伯の布袋図は戦前当山で画伯の画会が開かれたおり、当時の住職の希望で安産・子育てにちなんで子供を何人もあやしている布袋さんが描かれたと聞いています。
描かれてから常に掛けられていた為か傷みが酷くなり、再表具して現在は正月のみ飾っている一品です。
新年の準備 境内樹木の剪定
境内の庭木の剪定が始まりました。
夏の施食会前と暮れの恒例事業です。
京都で修行して、静岡市にもどり農家を継いで庭師として活躍している職人さんに永年任せています。
ろくに肥料は与えていませんが、刈り込んだ枝木を見ると毎年よく伸びるものだと感心すると共に生命力の強さに驚きます。
おかげで綺麗になりました。
しかし、『諸行無常』・・・・・・。のこの世界。
昨年から葉が落ち始め残った枝も今年の夏の暑さの為でしょうか?
樹齢100年を超えていると思われるモミジの木がついに枯れてしまいました。
現在の地に移るまで庫裡等の改築の為1~2回 その地を移り、その度根付かないかもしれないと心配しましたが毎年春の新緑、秋の紅葉で楽しませてくれました。
鉄棒の代わりとして子供たちが遊んだ木でした。
ある時、この木を見つめる中年の男性がいました。声を掛けてみると小学校の時に養子にいった産女の檀家さんの関係者で、彼にとっては生まれ育った時の思い出の木。
まさに「思い出のクリーングラス」の唄の世界で、本当に懐かしいと何時までも見つめていました。
ですからこの木への愛着は大きく檀家さん達も通るたび気にかけていましたが、如何ともし難く、本年中に切ることとなりました。
残念です。
切った後のモミジ、何かの形で残したいなと思案中です。
12月8日 成道会
2月8日は成道会(じょうどうえ)
苦行によって『生老病死』の苦悩は解決しないと解った「お釈迦様」は苦行林=山を出られ、菩提樹のもとで静かに坐禅を組まれました。そしてついに真理に目覚められたと伝えられています。
このことに因み、寺では12月に入ると床に写真の出山釈迦図を掛ます。
この掛軸の話をしたときにある方からこんな質問がありました。
「出山(しゅっさん)の釈迦と云いますが、お釈迦さんは男性ではなかったですか?それとも産女観音は安産の札所と云うことで特別な軸が伝わっているのですか・・・・?」
どうもその方は出山(しゅっさん)を出産と勘違いしていたようで・・・・・。
面白い顔で漫画的なこの軸の作者は江戸後期、東京の豪徳寺から彦根の清凉寺(共に井伊家の菩提寺です)に住職された寂潭俊龍[じゃくたん しゅんりゅう]和尚で独尊道人と号しました。
誰謂世尊浄法身
見来偏體着埃塵
豈懐昔日諭城日
箇為凡夫毛道人
豪徳独尊道人焚香写
誰か謂ふ世尊浄法身と
偏體を見来れば 埃塵を着く
豈に懐わんや 昔日 城を諭するの日
箇 凡夫 毛道人 為り
と読んでいます。
お釈迦様が菩提樹の下で目覚められたことを悟と云い、様々な和尚様がそれぞれに目覚められた悟りについてを言葉で書き表して説明しています。たとえば道元禅師様は眼は横に鼻は縦になっていることが解ったと述べています。
ですが、悟ったからといってその人が別人・超人・超能力者になるわけではありません。
私達は文字を見たり聞いたりして、頭でそれを理解しています。悟りとは頭では無く、からだ全体でわかること、体が理解することだと云います。
例えば初めて食べる料理の味はいくら言葉・文字で説明しても正確な味は伝わらず、食べて初めてその味が解ると云うことでしょうか?
悟りという料理がどんなものかも知らない、ましてその味について解る訳もない私が成道会にあたり駄文をつらねました。乞お許しを。
花は西王母の白の椿と土佐水木を添えてみました。