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最近のお買物 良寛さんの手紙

最近、東京の古美術店の通信カタログから良寛さんの書簡(手紙)を入手しました。

もちろん影印(現代語で云えばコピー)です。
良寛さんは贋作が多いと聞いていますし、真贋を見極める眼も持っていないので影印版を求めました。
どなたが愛蔵したものでしょうか??
立派に額装され箱に入って届きました。
掛軸等の影印版には印刷所等の栞が入っていることがありましたが、これには何も添付書類が無く、
どちらかの本からコピーした読みと説明が入っていました。
早速、本堂西の間に読みと説明を書いて掛けました。
御来山の節はどうぞ御高覧下さい。

写真と説明をアップいたします。

江戸ニて
 維経尼   良寛
君欲求蔵
経 遠離故
園地 吁嗟吾
何道 天寒
自愛
 十二月廿五日
      良寛

君 蔵経を求めんと欲して
遠く故園の地を離る  
吁嗟(ああ)吾れ何をか道(い)はん
天寒し 自愛せよ
 十二月廿五日
      良寛

良寛さんが維経尼に宛てた手紙である。
維経尼が師僧 徳昌寺虎斑和尚の
大蔵経購入の発願の為に
江戸に赴き勧進していることを知り、
書き送った書簡で
良寛さんの暖かい思いやりが伝わってくる。

 
 

産女観音手拭いを復刻いたしました。

産女観音 手拭い

『ありがたや ここぞ子安の観世音
      たすけたまえよ 親子もろとも』

梅花地紋に『産女山 正信院』の御本尊『千手観世音菩薩』の御詠歌を型染した手拭いです。

これを畳むと、御襦袢(おじゅばん)に様に見えます。
オリジナルは大正から昭和中期につくられたようで、最近、蔵の整理の際見つかりました。
当時、何かの記念につくられ檀信徒への供物として配られたと思われますが、記録が無く
唯一残っていた一枚で、これを元にして近在の染物店で限定100枚を復刻いたしました。

今回、徒弟の首座法戦式(詳しくは本年6月の『山号額修復完了』に掲載しています)の記念として檀信徒の皆様に差し上げる目的で復刻いたしましたが、数に余りが有れば篤信者の方達に笑納頂きたいと思っています。

 
 

ギンナン 銀杏

秋になると毎日イチョウの落ち葉の始末とギンナン拾い、そして実が熟したら皮剥きして参拝者への御供物のギンナンに仕上げる作務が待っています。

先月の台風15号は全国各地に大きな被害を残しましが、
当山も倒木・ガレージの屋根の破損等の被害を受け、復旧に手間取りました。
そんななかで特に往生したのは、なんと言っても境内のイチョウの木の始末でした。
以前は夏前の風雨に因って自然にギンナンが間引きされて、秋に大きな実をつけていましたが、近年はそれが無くなり『鈴なり』状態。
この台風の強風でギンナンの実の重さも加わり、枝が折れその始末に手間が掛かりました。

ほとんど落ちたかなと思いましたが御覧の様に未だ実っており、風が吹くたび落ちてきます。

産女観音 銀杏

参拝の皆様には、ギンナン特有の臭いで御迷惑を掛けますが御許し下さい。
それから、決して手に触れないで下さい。
触るとひどく『かぶれ』ます。御注意ください。

毎年同じことの繰り返しですが、ギンナンの臭い・・・・・・
鼻がまがりそうです。

玄関の掛物は臨済宗 虎渓山の三島良純老師。吸江室と号し、『話尽山雲海月情』一行書です。
花は秋明菊を活けてみました。

 
 

夏時間から冬時間へ

サーバー移転の為9月末から暫く『お知らせ』を休んでいました。

10月になると
当山の釣鐘は朝・昼・夕方・夜の4回・その度5回打っています。
10月からは夏時間から冬時間となり、暁鐘(朝)昏鐘(夕方)の時刻がそれぞれAM5時から6時、PM5時半から4時半に変更になります。
HPのトップページの映像の冒頭に流れる音色の梵鐘は平成四年に富山県高岡市で鋳造されたもので、『夕焼けこやけで日が暮れて』の童謡をイメージして産女の集落に響きわたるよう低音に調整して鋳ってもらいました。
「梵鐘を造ろう」と檀家さんに御願いした当初、造ってもしっかり鳴らすのか?と、よく尋ねられました。「時間に正確な性格ですから大丈夫です」と答えましたが、実は梵鐘を打っているのはコンピュータで制御された器機です。
寺男やお手伝い・雲水さんのいる大寺では梵鐘に掛かりつけの人がいるので器機に頼る必要はありませんが、当院のような家族で守る小寺ではそうもいきません。
時間をテーマにした禅問答で『諸人は十二時に使われるが我は十二時を使う』という答えがあります。
誰もいない御堂で独りで時間が来ると鳴りますから、最初は檀家さんも驚いたようで。特に午前11時に参拝に来た方たちは突然の鐘の音にびっくりされた方もいらっしゃることと思います。

産女観音 梵鐘

梵鐘を動かすコンピュータータイマー

 

今では時の鐘として農作業している皆さんの「お昼」と帰宅の合図として重宝しているそうです。
御来山の節はどうぞ天井を見上げて下さい。釣鐘を見ることが出来ます。
もし午前11時又は午後4時半に参拝されましたら自動で動く撞木を見ることが出来ます。
もちろん除夜は手動に切り換え、床板をはめて、檀信徒・一般の参詣者に年越しの鐘を撞いて頂いています。
除夜の鐘が撞けることはあまり一般に知られていませんから穴場かも・・・・・

 
 

産女の中秋

今夜は中秋!
午後八時を過ぎて、前山より月が出ました。
本当に綺麗です。
静岡は快晴。      お月見しましょう!

境内の銀杏の間から

 
 

12日は中秋

12日は中秋の名月。
夏の行持(お盆・地蔵盆・施食反省会等々)に追われ暦を見ることもありませんでした。
最近気づいたこと。旧暦の15日が必ずも満月にはならないこと。
9月12日は旧暦の8月15日で満月ですが、来月になると満月は旧16日。知りませんでした。
それから、静岡では『盆』に栗・柿・里芋等を仏壇の上の棒に吊るす習慣があります。
未だ未熟でとても食べれる品ではありませんが、旧暦の八月盆ではこれからが栗等が美味しくなる時期。帰宅する御霊に旬の食べ物をと云う先人達の心遣いが判りました。
12日は澄みきった夜空の満月を眺められますように、良い天気になることを願っています。
そんな訳で掛物は『誰家無明月清風』
永平寺77世、当山の川向こう服織 洞慶院の住職をされた丹羽禅師が永平寺東京別院監院を務められている時の書です。

花は秋海棠と竜胆・水引草を活けて見ました。
境内を眺めると秋明菊(貴船菊)が一輪。秋が近づいています。

 
 

24日は『お地蔵様』の御縁日

酷暑のなかの盂蘭盆会が過ぎ、この週末から初秋の気候。
でも又、真夏日が訪れるとか・・・・・。体がついていけません!

さて、明日24日は御地蔵様の縁日
産女では、寺の境内と河原に御地蔵様を奉安しています。
写真は今朝(23日)撮影した河原の御地蔵様・土手からの風景・そして境内の御地蔵様です。

河原の「お地蔵様」

七夕豪雨で境内の弘法堂(現在は移転して弘支堂となりました)が壊れる以前は、年配の女性達が毎月24日に此処に集い、御詠歌を奉詠し各自持参の料理とおしゃべりで楽しい一時を過ごしていました。
そして、特に8月は檀徒が全員参加して御地蔵様を御祭りして各家の御先祖・川で亡くなった方・万霊を供養する地蔵施食会がおこなわれます。

現在は主催が町内会となり、全員参加では無くなり寂しくなりましたが、万霊を供養する大切な行持として毎年開催されています。
午後5時から境内の御地蔵様の前に棚を造って施食御供養。その後、町境の藁科川上流の土手に奉安してある御地蔵様まで軽トラに棚等を載せ、土手を走って移動して御供養します。

『何でこんな町外れにあるの?』
移動するのに大変なのでしょうか。そんな質問がありました。
『水は高きから低きに流れるからね。此処が壊れたら産女は水浸し。だから何処の町内でも川上に御地蔵様を御祭りして御守りして頂いているのですよ』

産女の御地蔵様は天保年間に奉安されました。
治水事業を始めるにあたり、当山に工事の無事を祈願した当時の記録が残っています。
爾来川からの大きな水害は無く平穏な生活をさせて頂いていますが、この平穏な毎日は先人達の治水の苦労と、昼夜寒暑を問わず日々御守り下さる御地蔵様の御陰であることを忘れてはいけないと思っています。

境内の「お地蔵様」

 
 

8月盆(13~16日)中の参拝 御案内 

7月19~20日の大祭は台風で登幡がズタズタに破れ、大変な日となりました。それからは連日とても涼しい天気が続きましたが、やっとセミも鳴きだして真夏の朝を迎えています。

さて八月は盆月で、以前はお盆だからと云うことで13~16日は参拝者は少なかったのですが、最近では盆で帰省されている方・旅行の行程に併せて御参りに等々、来山される方が多くなりました。
重ねて本年は土日が入っております。当山では棚経(お盆に檀家さんの御宅を訪問して先祖供養する行持)の時刻を変更して参拝の皆様に御不便の無い様に務めさせて頂きますが、棚経は年一度の大切な行持、その期間内に御務め致しますので、御参拝の皆様で御祈祷を御希望の方は下記の時間になるべく御来山されますよう御願い申し上げます。

★13日・14日15日 正午から午後4時まで
★16日        午前中から午後1時まで

御祈祷以外で御来山の皆様は何時でも御参拝出来ます

 

8月の玄関の様子

短冊 夏雲多奇峰

丹波徳利にむくげ・ききょう・藪ミョウガ・水引草

 
 

19~20日 大祭の御案内l

7月19~20日は年に一度の大祭です。
大祭と呼び始めたのは近年、私の代になってからです。
以前は『開山忌』と呼んでいました。

元々この行持は当山の川向こうにある洞慶院様の御開山の命日(旧6月3~4日)儀式で、旧6月3日が御逮夜で、今どきの言葉で云えば前夜祭。露天が並び、芝居小屋が建ち、夜を徹して遠近より沢山の人が御参りされました。そして4日が正當の報恩法要が厳修されます。
参詣者は洞慶院様への御参りに併せて当山に安産・子授祈願に来山されるようになったようです。
交通が不便だった頃の話ですから、近くまで行くからついでにとのことでしょうか、当山には明治8年から御参拝が始まっています。
写真は当山に残されている当時の出納帳です。

開山忌は普段なかなか家を空けられない女性達が丸一日楽しむことが出来る日として、とても賑わいました。御籠りと云って終日 唄・踊りを披露し観劇して過ごしたようです。
当山にも芝居小屋の材料が納戸に用意してありましたが、残念ながら昭和49年の七夕豪雨で使い物にならなくなりました。やがて時代も高度成長期となり、娯楽も種々雑多となり、団体から個人へと移り変わり、時代と共に御籠りも無くなり、寺としては楽になりましたが寂しくなりました。

ところで開山忌は新暦(今の暦)となってからも旧暦の日に合わせて開催されていました。
ですから年々新暦の開催日は違っていましたが、出納帳の記録をみると明治42年から現在の19~20日になり以降現在までこの日に行われています。
記録によると毎年雨が多く開催に難儀したことが記されおり、たまたま明治42年天気がよく以降この日が天気に恵まれたのでこの日になったと聞いていますが、本年は台風で大雨。
一人でも多くの御参詣の御縁を願うのみです。

玄関のお迎えの花 浜ぼう

 
 

施食会から大祭の準備へ バザーの御案内

16日午後3時から恒規の施食法要が猛暑のなか、無事圓成致しました。
写真は当日の和尚様方の控室の床の間と施食棚の風景です。

施食が終わりますと、いよいよ大祭の準備です。

施食が終わりますと、いよいよ大祭の準備です。
例年ですと18日に『のぼり幡』を建てますが、本日は戌の大安の祭日、一日早く檀家の皆さんに御奉仕を御願いしました。
杉の枝を採ってきて先端に取り付け、杉柱・支柱を設置し幡竿を10人位で押し上げます。
重労働の作業ですが当山の檀家の皆さんは慣れたもの、秋の神社祭典と大祭、年2回建てますので、手際よく作業は進み、約3~40分で終了します。
こうした作業のなかで、長老より若者にその技術が受け継がれていくこと、本当に尊いことです。

最近になって大祭に併せてバザーが開かれています。
もともとは寺の納戸を整理した際にでてきた幕末から戦前までの陶器・雑器類を檀家さん達に気に入ったら御持ち帰り下さいと御知らせして店開きをしましたが、一般の参拝者も足を運んでくれ、それでは併せて雑品も云うことになり、今日種々雑多な品を集めたバザーとなりました。
19~20日大祭のバザーですが本日は品物を整理しながら開くことにしました。
是非、御来山下さい。

 
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